ひとり言をぶつぶつぶつ
by haichigi
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148歳をGoogleにもお祝いされる人
148回目の誕生日に、生前住んでいた家の有形登録文化財プレートの除幕式が行われると聞いて、熊野からドライブ。目的地は和歌山県田辺市の南方熊楠顕彰館。普段は非公開の母屋の内部見学を10時から11時の受付で行う、というので余裕をみて3時間前に家をでたら9時15分到着。でも既に2名がこの前で待っていた。
一人は東京から駆けつけた熊野古道好きな方で、もう一人は先着30名にあたる空くじなしのくじ引き目当ての地元の方。門の格子の隙間から母屋を覗くと、すでにプレートの除幕式の準備は整っているようす。
しばらく門の外で待っていると、係りの方が顕彰館の中に案内してくれる。
近代的な建物の中には、南方熊楠の資料が並んでいる。顕微鏡で標本を覗けたり、ブリタニカも閲覧できる。特に熊楠フリークでもないし、粘菌好きでもないけれど、我が家のオブジェとなった引作の大楠を伐採の危機から救った人だし、熊野の有名人だし。田辺出身の方の話では、かなりの変人でお手伝いさんは何人も変わったとか。まあこのお顔なら想像できます。
そしてここでの目的の一つは引作の大楠の枝で出来たテーブルを見ること。平成19年に折れた枝は、輪切りにされていろんなところに渡ったが、ここにも2個ほどあって、奇麗に磨いてテーブルになっていた。我が家のオブジェも雨ざらしではもったいない、と言う方がいてちょっと考えているのです。
一人は東京から駆けつけた熊野古道好きな方で、もう一人は先着30名にあたる空くじなしのくじ引き目当ての地元の方。門の格子の隙間から母屋を覗くと、すでにプレートの除幕式の準備は整っているようす。
しばらく門の外で待っていると、係りの方が顕彰館の中に案内してくれる。
近代的な建物の中には、南方熊楠の資料が並んでいる。顕微鏡で標本を覗けたり、ブリタニカも閲覧できる。特に熊楠フリークでもないし、粘菌好きでもないけれど、我が家のオブジェとなった引作の大楠を伐採の危機から救った人だし、熊野の有名人だし。田辺出身の方の話では、かなりの変人でお手伝いさんは何人も変わったとか。まあこのお顔なら想像できます。
そしてここでの目的の一つは引作の大楠の枝で出来たテーブルを見ること。平成19年に折れた枝は、輪切りにされていろんなところに渡ったが、ここにも2個ほどあって、奇麗に磨いてテーブルになっていた。我が家のオブジェも雨ざらしではもったいない、と言う方がいてちょっと考えているのです。
おそれていたほどの人は集まらずに受付を済ませて、母屋玄関前の除幕式会場に移動。挨拶が済めば、受付順に10人づつ内部見学へ。もちろん最初の10名で中に入る。まずは急な階段を登って、2階へ。思ったよりも普通の和室。明治時代の2階屋としては高いそうで、開け放した窓からは風が通り抜けて、壮快。ここにお客を泊めて、自分は蔵と離れを行ったり来たりして研究をしていたらしい。
一階も和風の部屋。家具も元々のもの、と聞くとちょっと嬉しい。熊楠亡きあと、家族が愛着を持って暮らしていたのだろう。
そして庭に降りる。ここは庭が面白い。蔵の中は熊楠の宝物で溢れ、隣の熊楠の書斎は、今でも熊楠が研究を続けているかのよう。2階に泊まったお客は、夜中も蔵ろ書斎を行き来する熊楠の足音で、寝付かれなかったという。当時の井戸や、納屋もいい感じで残る。
椅子や座卓もあるし、天井からの照明をあんなに低い位置まで伸ばしているのに、熊楠の研究姿といったら、この縁側で前屈みになって、太陽の光で観察している写真の姿が浮かぶ。
そして何と言ってもこの庭、植物が立派で元気だ。もちろん大楠もあるし、みかんや枇杷などの実を付ける木も豊富だ。それらが家を覆い隠すかのような勢いで茂っている。ミツバチの羽音もうるさいくらい。いまではここは田辺の住宅街の一角だというのに。
ここには熊楠が救った沢山の熊野の巨木の力が満ちている。流行のパワースポットよりもずっとパワーに溢れているように感じた。
さて、ここでもちょっとした小物チェックをしておこう。
南方熊楠には力がある。和歌山の人で、ロンドンから帰国して訪れた熊野をとてつもない野蛮な地と言ったそうだが、彼がいなかったら熊野が今の形で現代の人々に知られることはなかっただろう。とてつもない変人だった、と言われる割には家族には愛され、慶応大学の学生時代からの日記は一冊もかけることなく、保存され家も修復され登録文化財となった。愛すべき熊野の変人、彼はきっとこれからも熊野のために力をかしてくれる、そう思える日となった。お誕生日おめでとう。
一階も和風の部屋。家具も元々のもの、と聞くとちょっと嬉しい。熊楠亡きあと、家族が愛着を持って暮らしていたのだろう。
そして庭に降りる。ここは庭が面白い。蔵の中は熊楠の宝物で溢れ、隣の熊楠の書斎は、今でも熊楠が研究を続けているかのよう。2階に泊まったお客は、夜中も蔵ろ書斎を行き来する熊楠の足音で、寝付かれなかったという。当時の井戸や、納屋もいい感じで残る。
椅子や座卓もあるし、天井からの照明をあんなに低い位置まで伸ばしているのに、熊楠の研究姿といったら、この縁側で前屈みになって、太陽の光で観察している写真の姿が浮かぶ。
そして何と言ってもこの庭、植物が立派で元気だ。もちろん大楠もあるし、みかんや枇杷などの実を付ける木も豊富だ。それらが家を覆い隠すかのような勢いで茂っている。ミツバチの羽音もうるさいくらい。いまではここは田辺の住宅街の一角だというのに。
ここには熊楠が救った沢山の熊野の巨木の力が満ちている。流行のパワースポットよりもずっとパワーに溢れているように感じた。
さて、ここでもちょっとした小物チェックをしておこう。
南方熊楠には力がある。和歌山の人で、ロンドンから帰国して訪れた熊野をとてつもない野蛮な地と言ったそうだが、彼がいなかったら熊野が今の形で現代の人々に知られることはなかっただろう。とてつもない変人だった、と言われる割には家族には愛され、慶応大学の学生時代からの日記は一冊もかけることなく、保存され家も修復され登録文化財となった。愛すべき熊野の変人、彼はきっとこれからも熊野のために力をかしてくれる、そう思える日となった。お誕生日おめでとう。
by haichigi
| 2015-05-19 16:40
| 建物